払いは節分までに――そう聞いたことがある方は多いと思います。ただしこれは、その日を過ぎたら受けられなくなる、という意味の期限ではありません。多くの神社やお寺では一年を通してご祈祷を受け付けており、時期を過ぎてから訪れる方もめずらしくないと言われています。まずはそこを申し上げたうえで、なぜ「節分まで」と言われるようになったのか、その由来から辿ってみましょう。

「節分まで」と言われるようになった理由

節分とは、季節の分かれ目、とりわけ立春の前日を指す言葉です。旧暦の考え方では、立春が一年の始まりにあたる区切りとされていました。つまり節分は大晦日にあたる日で、そこまでに厄を祓い、新しい年を身ぎれいにして迎える――そういう発想から、「厄払いは節分まで」という目安が広まったと言われています。

元旦から節分までのあいだに済ませるのが一般的とされるのはこのためです。初詣とあわせてご祈祷を受ける方が多いのも、同じ流れの上にあります。年始の社寺が厄除けの幟でにぎわうのは、この区切りの名残なのでしょう。

節分の日づけは、年によって動く

意外に知られていませんが、節分は毎年二月三日と決まっているわけではありません。立春の日は太陽の動きから定まるもので、国立天文台が観測に基づいて毎年公表しています。その前日が節分ですから、年によって二月二日から四日のあいだで前後します。

近年では二〇二一年・二〇二五年が二月二日でした。次に二月二日となるのは二〇二九年と見込まれており、二〇二七年の節分は二月三日(水)にあたるとされています。「毎年三日」と思い込んでいると、四年に一度ほど、一日ずれた年に出くわすことになります。前の年の暮れに、翌年の暦をひと目確かめておくと安心です。

時期を過ぎてしまったときは

仕事の都合、体調、家族の事情。年が明けてすぐの時期に動けないことは、いくらでもあります。そうして節分を過ぎてしまっても、案じることはありません。前述のとおり、多くの寺社が通年でご祈祷を受け付けています。

「節分まで」はあくまで旧暦の区切りから生まれた目安であって、その日を境に扱いが変わるという性質のものではありません。むしろ、年始のもっとも混み合う時期を外したほうが、落ち着いて祈祷を受けられるという声もあります。誕生日のころに毎年受ける、と決めている方もいらっしゃいます。大切なのは日づけを守り切ることより、区切りをつけて足を運ぶことのほうだ――という受け止め方で、じゅうぶんではないでしょうか。

日取りは、大安にこだわりすぎなくてよい

どうせなら縁起のよい日に、と考えて六曜のカレンダーを開く方もいるでしょう。大安を選ぶのはもちろん気持ちのよいことですが、六曜はもともと厄払いや神事のために作られた暦注ではなく、寺社の側が日取りを指定することもまずありません。仏滅だから断られる、ということもないとされています。

実務的にお伝えするなら、確かめておくとよいのは次の三点です。

迷ったときの判断のよりどころを、ひとつだけ挙げるとすれば。「縁起のよい日に行けるかどうか」ではなく、「落ち着いて手を合わせられる日かどうか」です。慌ただしく駆け込んだ大安の朝より、時間に余裕のある平日の午後のほうが、きっと深く息を吸えます。厄払いは、恐れを祓う行事というより、身を整えるための区切りなのですから。